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はじめに
2010/03/01(Mon)
( V.は追記です )

I.SMへの目覚め

中学2年、14歳の時、夏休みの始めにポケット判のSM誌『SMセレクト』の8月号を買い、SMというものの存在を知りました。初めて買った成人向け雑誌がSM誌だったのです。

SMセレクト1972年8月表紙

次に同じ中学2年の夏休みに、8月に入ってから『SMファン』の8月号を買いましたが、そこに掲載されていた親子2代のS女性の奴隷となる青年実業家を主人公にした小説を読んで強い印象を受けました。そして、サディストの女性とマゾヒストの男性の関係というものが決して珍しいものではないことを知り、自分もそういった世界に属する1人なのだろうと思いました。

さらに同じ年の9月には『SMファンタジア』の10月号を買って、たぶん翌月に掲載されていた小説を読みながら初めて自慰による射精を経験しました。

その小説の主人公の女性は幼い時に生母を亡くし、父親は再婚していたのですが、父親は後妻を縛って寝室のベッドに放置するというSM行為を日常的に行なっており、一度主人公は継母が緊縛されて放置されている姿を目撃してしまったため、継母はSM行為を行なっている間は主人公を縛って浴室に監禁するようになり、その際に主人公は抗議のためにいつも失禁して、あとで継母に縄を解いてもらって体を拭いてもらうということを繰り返していたのです。
高校卒業後に家を飛び出した主人公はバーで働くようになるのですが、主人公が経営者の男性に可愛がられていることに嫉妬した同僚のホステス達が主人公を開店前の店に呼び出して制裁を加えます。
最後に同僚達に後ろ手に縛られてパンティーを脱がされ、膣の中に氷のかけらを入れられて尿意を我慢出来なくなった主人公は、幼い頃に継母に縛られて監禁された浴室で失禁する瞬間の快感を思い出しながら恍惚として尿を放出するのですが、私は責められるヒロインに自分を同化させて勃起したペニスをこすり続け、主人公が失禁するシーンを読みながら大量の精液を放出したのです。

中学2年の時は計3冊のポケット判のSM誌を買って強い影響を受け、文庫判の『O嬢の物語』も買いました。『O嬢の物語』では主人公が車の中で着衣を次々と剥ぎ取られて縛られる場面を読みながらやはり主人公に自分を同化させていつも自慰をしていました。
14歳の私は、拉致され、全裸で監禁されて鞭で打たれて調教され、焼印を押され、大陰唇に鉄の環を付けられて、人々の前に引き出されるOに憧れの気持ちを抱いていたと思います。
ただ、今度こそは物語を最後まで読み通そうと思っていても、小説のその場面になると、いつもペニスが本当にもうはちきれんばかりに大きく勃起して、どうしても我慢が出来なくなり、自室の床に座り込んだままベルトを外し、ジーンズのファスナーを急いで下げ、ブリーフの前開きから膨張してドキドキと脈打っているペニスを取り出し、ティシュで亀頭を覆うのももどかしく、指でペニスを擦り始めると、あっという間に大量の精液を放出して果てるということの繰り返しで、その場面より前に読み進むということがどうしても出来ませんでした。
その後のページに関しては、結局は拾い読みを繰り返しながら最後まで目を通したという感じでした。

O嬢の物語表紙

その後、10代後半の時期にもSM誌を2ー3冊買ったもののM男性向きの内容ではないので面白くなく、成人するまで関心は持ちながらもSMから遠ざかっていました。

また、その頃は女性の肉体への関心がとても強くて、17歳から21歳まではストリップ劇場を訪れるなどしていました。もっとも、当時から性器の結合には興味がなく、自慰はいつも女性の性器を愛撫したりクンニリングスすることを想像しながらしていました。

しかし23歳の時に『SMセレクト』誌の「拝啓クイーンローズ様」という、女王様とマゾ男性のプレイを撮影したグラビアの連載を目にした時に自分のM性が強く呼び覚まされ、普通の女性のヌードを見た時とは全く異なる激しい勃起をして自分でも驚くという体験をして、SMクラブに是非行かなければならないと思うようになりました。

II.実体験

そして、初めてSMを実践することが出来たのは、25歳になる1か月半前に「中野クイーン」を訪れた時です。

中野クイーンで初めてSMプレイを体験した時は、2歳年上の女王様がSMクラブでご調教を受ける時に必要なマナーを丁寧に教えて下さり、とても感謝しています。プレイの最後には鏡の前で両膝を付いて立たされ、「お前がいつもやっているようにオナニーしてごらん」と命令され、オナニーを始めると「ほら、ほらー、この変態が!」と嘲笑され、「お前は生まれながらのマゾなのよ。一生Sのご婦人にお仕えする運命なのよ」と女王様に言われながら射精をしました。

中野クイーンには何回か通いましたが、その後、SMクラブのない地方都市などに長期にわたって住むことになったため、何年間もSMクラブに行くことが出来なくなりました。
その間、自慰はもっぱら中野クイーンでの体験を思い出したり、SM誌のグラビアを見ながらしていました。

関東に戻ってからも、何年もの間SMクラブに行かなかったためにSMクラブに行くことに何となく気後れして、仕方がなく秋葉原などの個室ビデオ店に通ってSMビデオを数十本見ましたが、全て女王様がM男を調教する作品でした。私は若い時から普通のポルノ映画やアダルトビデオや見ても勃起することは全くなかったのです。

そして、ある時横浜のストリップ劇場で女王様による公開奴隷調教ショーを見て、黒エナメルのボンデージ姿の女王様のお姿を拝見しただけで激しくペニスが勃起してしまう自分はやはりSMクラブに行く必要があると強く思いました。

そこでまず、横浜のSMクラブで久しぶりに女王様のご調教をお受けし、その後は六本木や渋谷のSMクラブに通うようになりました。

そして、最後に出会った渋谷のクイーンズクラブの貴子女王様によって、男性としてのプライドや、人格を徹底的に否定するご調教を施していただき、普通の恋愛やセックスは一切出来なくなるようになりました。

今では恋愛やセックスしたいという気持ちは全然ありませんし、また、若い時はとても好きだった女性の秘部を見たいという気持ちも全く抱かなくなりました。
たまにストリップ劇場のSM大会でM女さんの胸や秘部を見ることがあっても全然勃起しません。

III.現状

貴子女王様は「私はね、男のペニスが大嫌いなんだよ!」とおっしゃっていた方で、容赦の無いペニス責めで知られていました。貴子女王様にはプレイ中に射精をすることを事実上禁じていただき、厳しいペニス責めによって痛めつけられて、プレイの最後に貴子女王様にオナニーをしても良いとお許しをいただいて、いくら自分の手でオナニーしても全く勃起出来ない状態にされ、毎回ペニスが小さく萎えた状態でご調教を終えていました。
貴子女王様は2006年に所属されていたクラブを退店されてしまったのですが、他のSMクラブに行ってもプレイではいつも勃起不全となりがちで、射精することが難しくなりました。
また私は貴子女王様によって下腹部に大きなMの字をカッティングで刻まれています。刻まれた末広がりのMの字の傷痕は膨れ上がって赤い瘢痕となりましたが、それは今では変形して「へ」の字のような形になってしまいました。また傷が比較的深くなくて赤い瘢痕が消えた部分も含めてカッティングされた箇所は毛根が消滅しています。貴子女王様には「一生消えないわね!」「こんな痕がついていたらもうセックス出来ないわね!」「お前、もうここ、毛が生えてこないわよー」などと言われて嘲笑していただいていました。

IV.去勢願望

貴子女王様は最初の頃からよく「去勢しなさいよ!」とか「女王様にタマを1つ献上しなさいよ!2つあるんだから1つぐらいいいでしょう?」などと言葉責めをされていました。そして最後の頃は私もだいぶ暗示をかけられていたのか「貴子女王様になら睾丸を両方とも切除されてもいい」と本気で思い詰めるようになっていました。
貴子女王様は「タマを1つ献上しなさいよ」とおっしゃっていましたが、睾丸が1つだけになっても確かに健康に影響はないでしょうけれど、それは嫌だと思いました。
本来2つで対になっているものなのに、1つしか残っていないなんて不自然ですし、また中身の無くなった側の陰嚢がぶらぶらと垂れ下がっているのも格好が悪いと思うので、いっそうのこと両方の睾丸をそれに付属する器官と共に全て切除していただいて、睾丸が無くなったために陰嚢の皮が余分になったならば、その部分も切り取っていただいて、傷口は綺麗に縫っていただくようにした方が良いと思っていました。
貴子女王様が以前所属していらっしゃったクラブで先輩だった女王様が「○○ちゃんは手術が好きだから・・・」と貴子女王様のことを評していらっしゃったのですが、もし貴子女王様がクラブを退店されなくてあのままご調教を受け続けていたら、本当に貴子女王様に去勢していただいた可能性もゼロではなかったと思います。
もっともその後は他のクラブの女王様の前でも勃起不全になったり、自慰をさせていただいてもうまく射精出来なくなったりしているのですから、私は貴子女王様に精神的に去勢されてしまったのかもしれません。

V. 貴子様の去勢奴隷にしていただくことを想像すると・・・

性転換をしたある性同一性障害の人のサイトを読んで知ったのですが、もし性転換手術をする前に睾丸を両方とも摘出した場合、ペニスは小さくなり、陰嚢も縮んでいくのだということです。
そうだとすると、もし私が貴子様に睾丸を摘出していただいた場合も、陰嚢の皮を切除していただく必要はないということになりますね。
貴子様に睾丸を両方とも切除していただいて、肉体的な性欲を一切失い、残していただいたペニスは2度と勃起することもなく小さくなったままの状態で、また精神的にも去勢のために男性的な攻撃性がなくなったならば、貴子様も安心して私を奴隷として使役することが出来るのではないでしょうか。
睾丸を両方とも摘出していただいて、小さく縮こまって排泄にしか用いることの出来ない、子供のもののようなペニスをぶら下げて、いつも全裸で貴子様の身の回りのお世話をさせていただく、貴子様のご叱責を恐れて常にビクビクした、げっそりと痩せた自分の姿を想像すると、ものすごく興奮します。

VI.キスの経験

また、自慢するわけではありませんが、私はまともに接吻をしたこともありません。私が経験したことのあるキスに近い行為は、今はない横浜のSMクラブ「窓」の女王様に唾液をたくさん飲ませて下さるようにお願いした時、女王様がふとお口を近づけられて私の唇に軽くキスして下さったこと、そして六本木のミストレスバーが併設していたクラブ「ナインテールキャット」の女王様に仰向けに拘束していただいて、歯で下唇をこじ開けられ、女王様の唾液を大量に注いでいただいたこと、この2つのみです。

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